家族旅行
長野県松本市・白樺湖・美ヶ原方面
1997年8月17日(日)~19日(火)
【8月17日】
自宅 → 談合坂SS → 諏訪湖SS → 松本城 → 民族資料館 → 開智学校 → 白樺高原ホテル泊
【8月18日】
白樺高原ホテル → ピラタス横岳ロープウェイ山麓駅 → 北横岳 → ピラタス横岳ロープウェイ山麓駅 → 女神湖 → 白樺高原ホテル泊
【8月19日】
白樺高原ホテル → 美ヶ原高原山本小屋 → 塩くれ場 → 山本小屋 → 和田峠 → おぎのや → 諏訪神社(下社) → 自宅
下の写真集は、子供らが当時創作したアルバムをコピーしたものです。
1997年8月17日(日) 1日目
「すわこだぜ。イエーイ」
「諏訪湖サービスエリアにて
ラベンダーソフトたべたよ」
「諏訪湖につけばあと少しだ!」
「あれなんだろう?」 「マブシイ!」
「でっかいコイがいる」
「いいねえ。このかんじ。」
「よく読んでおこう」
「どこから見ても松本城はいいねえ」「他のお城もみたいよぉ」
「五目焼きそばが美味しかった」
重要文化財旧開智学校
創 設
旧開智学校は、明治6年(1873)松本藩学を継承して開設され、同9年(1876)校舎を新築した。校舎の新築は時の筑摩県権令永山盛輝らにより計画され、松本の大工棟梁立石清重がはるばる東京へ出向き、東京大学の前身開成学校などを参考にして工夫をこらし設計施工した。工費約1万1千円の大部分が松本町全住民の献金によるものであった。
重文指定
この建物は、明治5年学制が施行されてまもなく建てられた和洋混交の擬洋風建築で、わが国建築文化史上貴重な遺構として昭和36年(1961)重要文化財に指定された。
昭和の移築・修理
旧開智学校は市内の中心部を流れる女鳥羽川沿いにあったが、同河川改修工事のため昭和39年現在地に移築復原された。開智学校に保管されてきた明治・大正・昭和3代100年にわたる教育資料は約8万点にのぼりその一部を展示して昭和40年から教育博物館となっている。
〒390 松本市開智2丁目4番12号
重要文化財旧開智学校管理事務所
TEL 松本(0263)32-5725
小・中学生1人150円(当日限り)
1997年8月19日(月) 2日目
おはようございます !! 今日は、山登り。Fight !!
きれいなお花が咲いてるョ
「とんぼさん。この指にとまってぇ」
「これから北横岳へ向け、がんばるゾ。」
「中央アルプスがほんのちょっとだけ見えるヨ」
※中央アルプスがちょっとアルプス?!
by 母
「はじめて父さん登場!」
「今度は笑顔で」
「マブシィ」 「きゃ ハチ」
「元気いっぱい!」 「もう 疲れたよ。」
「七ツ池の1つめ。」「けんた。ちょっとつかれた。」「はら へったよ~」
「七ツ池の2つめ。ここまで。」
この先は進入禁止でした。
この赤い実は「コケモモ」 ジャムになります
「やっとひるごはん うれしいナ。」「うっ うまい!」
「おにぎり、おいしかった。お父さん Thank you !!」
↑ 家族が未だ寝ているうちに、朝5:00起きして茅野のコンビニまでおにぎりを買いに行ったことに対する子供達の言葉でした。うれしいもんです (^0^)
「この日から やみつきになりました」
1997年8月20日(火) 3日目
ホテル内で。「スイスに行った気分!」
「おっ?! この美人達を見てるのかしら?ウフ」
「ちょっと、イスの上にのって、背をごまかそう。」
「このホテル、来年もまた来たいネ」
「あっ。馬だ。急げ;」
「青信号になったよぉ」「オイラにもとらせて~。ヤッター」
「しらかばの木はとってもキレイ」
「とっても太~いしらかばの木。だれ?私の足だって言ったのは。
愛知学院大学のりょうでうつしたよぉ。
当時は有料でした。
「美ヶ原に到着」
「向こうの丘の上が美ヶ原高原美術館でございます」
「このみちを歩いていきます。」
「イエーィ」
「美しのとうに写る・美しい2人組!」
「何してんだろう。お姉ちゃん変なの!」「私も石積んどこう。ミーハー?」
「ここでは、みんなへのお土産とmapを買いました また地図?」
「うしの前で。うっしっし。な~んちゃって。」
「Very Good これはいい。」
「日焼けしないようにしなくちゃ」「ナニカモンクアル?」「なんとなくシェー。でも顔がこわい」
「とんぼさん。名付けてトンちゃん。とまってくれました」
「おうまさん、木を食べてるヨ。柵なくならないの?」
「オイラものっけちゃおうカナ?でもつかれた」
「さっきまで青空があったのに、山の天気はかわりやすいね」
「うしろに見えるのが美術館デス。人たくさんいるから(混雑しているから)こっちの方がイイ。」
「ん?ビックリ。急にとらないでよぉ。」
「あっ。これは何だ?」「お留守番してたピーチャンかぁ。かわいいね。」
── おしまい ──